〔雑感〕It became a Working-poor.

35歳、男、ロストジェネレーションのほぼ一期生。
仕事はスポット派遣、年収は130万円に届かない。
今日の仕事は荷物の仕分けで、夜10時半から朝の8時まで。
拘束時間9時間半の対価は8000円。
家のある相模原から仕事場の金子駅までは2時間、
電車賃を払ってしまうと手元に残るのはびっくりするほど少ない。


10時半から朝の2時まで休憩なしで荷物を仕分ける。
2時から3時まで1時間の休憩、夜食の時間。
一緒に働く大学生はおにぎりを食べている。
「食べると動けなくなるから。」
そういって、大学生が差し出す梅のおにぎりを拒否した。
3時から8時までは休憩なしで荷物を仕分ける。


高校卒業後、情報処理の専門学校に通う。
就職は自由が丘にある、コンピューターの電子部品の開発会社。
半年以上は道路が雪で埋もれる北海道からの上京は、
誇らしくてうれしかった。


入社後、終電で帰って始発で通う生活が始まる。
仕事のペースなどは無い、納期が絶対。
納期を守れなきゃ、会社を守れず、自分を守れない。


1年後、会社の自動販売機の前で自分の大好きな先輩が倒れていた。
働きすぎ、ストレスから来る心筋梗塞だった。
いつかの自分がだぶって、怖くなって辞表を出した。


反動は大きかった。
まずはしっかり休んで、自分のやりたいことを探そうと思った。
1年経ち、2年経ち、3年経ち。
アルバイトで食いつなぐ生活が板についてしまった。


今年の正月、実家の親父がガンで死んだ。
実家には10年以上帰っていない、というか帰る金が無い。
葬式には出たけれど、帰りの飛行機代は弟に借りた。


弟は1人残った母親を看病するため、
東京での仕事を辞め、北海道に渡った。
結婚はまだの上に、今は無職になってしまった。
弟の幸せを願うけれど、
人の幸せを願う余裕なんて自分には無い。


スポット派遣者同士は言葉を交わさない。
その時々の現場、その時々の仲間で
「どうせ2度と会うことは無い。」とお互いに思っているから。
実際にあまり同じ現場にはならない、覚えてないだけかもしれないけれど。


言葉を交わさないと寂しい。
けど、話すことも無い、ネガティブな言葉しか浮かばない。
けど、言葉にしないぶん不安を共有している感覚になる。
共有してもどうにもならないけれど。


ゴールデンウィークは引越しのスポット派遣をする。
この時期は引越しの派遣に限る。
新しい大学生のバイトを見ると、自分の老けたのを認識する。
これ、毎年恒例。


出来れば、パソコン関係の仕事に就きたい。
けれど、今の世の中のプログラミングのレベルにはついていけないし、
ワードやエクセルでさえ使いこなせるか不安。
車の免許を取っていない自分に腹が立つ。
あれば仕事の幅が広がるのに。


====================
というわけで、スポット派遣ていうのに初めて行ってきました。
グッドウィルとかだと回りの仲間も若いんだろうけど、
昨日行ってきた深夜の荷物の仕分け業務は、
40代中心のノーフューチャーなオーラが漂う
おっさんたちしか居ませんでした。


オレなんかは、いかに上手く頑張っているかのように見せ、
いかに上手く休憩時間を稼ぐかだけ考えながらやっていたんだけど、
35歳の人はめっちゃめっちゃ頑張ってました。


休憩時間、なぜそんなに頑張れるのかを聞いたところ、
上記のような話しをしてくれました。
(でも、なんでこんな話しになったのだろう?)
社会学ゼミ(一応ね)の血が騒ぎ、
答えたくないであろう質問もしまくったけど
35歳の人は丁寧に話してくれました。
話すっていう行為が久しぶりで相手もうれしかったみたい。


ワーキングプアと言われる人たちの苦しい現実を知りました。
月給の仕事に就きたいけれど、
月給になると初めの1ヶ月の生活費が間に合わないから、
日払いのスポット派遣から抜け出せない。


うーーーーん・・・


スポット派遣に陥ってしまった、
原因はどこにあると思う?
自分が彼だったら、陥らずに済んだ?


うーーーーん・・・